マツコラム

バブシカのピクルスがウマ過ぎる件について

ハバロフスクでもらったバブシカ(おばあちゃん)の作ったピクルスがウマ過ぎる。
ロシアにいた頃から感じていた事だが10年経ってみて改めてどう冷静に考えたとしても圧倒的にウマい。
2リットルもらって「多すぎ!」とか思ってたのが3日で無くなってしまった。あと2かけだけ残しているのが逆にツラい。
美味しさの規模がまるで違うのだ、舌や鼻で感じる味覚とはジャンルが違うと言う言い方の方が正しいかもしれない。

生き物として、体の望む物を満たす事が「ウマい」と感じるのであれば、これは料理のテクニックとかそういった話ではない様な気がするので多角的に検証してみる。

まず、原材料のキュウリだが、この時点でロシア産のものは圧倒的にウマい。
キュウリのみならず、野菜、果物は劇的にウマい。
日本の料理や食材は世界でも相当ウマいと思っているし世界の人々も日本の物が一番ウマいという意見は良く聞く。
しかし、野菜がウマいのは恐らく緯度の違いによる物かと。
ロシアは緯度が高いので、今回訪れた7月も、朝4時には陽が昇り、夜10時まで明るい。もっと北であればほぼ白夜で、夜中に鶏が鳴こうか鳴くまいか「コケ… コ…ク…クルル」と躊躇している様を良く聞いた。つまり一年草の野菜にしてみれば光合成し放題栄養溜め放題なのだ。北海道の野菜のウマさをさらに5割増と言ってもいいかもしれない。
そして厳しい乾燥に耐える為に水分の含有量がパネぇ。
キュウリ等のウリ科やプラム、モモの類は、かじった瞬間水が吹き出し大抵顔が大変な事になる。これも野菜の生存本能によるものと思われるが、さらに保水能力も高いので、収穫後かなりの期間その状態が続く。当時はキュウリを水筒代わりにしていたくらいである。
その植物の命を守る為の知恵と努力を頂いているのだからウマくないはずが無い。

そして調理法。
ピクルスといえば「酢漬け」と思われがちだが実は原材料は野菜と塩だけなのだ。
もちろん、風味付けの為に唐辛子、にんにく、ディル、胡椒等は入れるが酸味は乳酸菌の発酵による物なのである。
それを熱湯消毒した瓶に密封し一冬を越す。つまりぬかどこを使う事を除けば日本の漬け物と原理は一緒、乳酸菌GJな訳だ。
ここが如実に違う、市販されているピクルスは酢漬けで保存料も入っている。むしろ松的には市販のピクルスはあまり好きでない部類に入るしロシアで食べるまでは全くノーマーク食材だった。
「バブシカの作ったもの」で無ければならない決定的な理由はそこだ。
だからこそ、酸っぱすぎず後を引くウマさがある、そしてその漬け汁は適度な塩分と酸味で、二日酔いの朝飲むとまさに神である、今回もペットボトルに移し替え大切に持って帰って来た。

ここまで見てみれば自分でも作れそうに思えるが、絶対に越えられない壁がある。

それが「バブシカパワー」であると仮定しよう。
日本でも、うっかり食べた民宿の煮物が悶絶するくらいにウマいことがある。そういった物は必ずおばあちゃん作なのだ。
同じ分量、調理法を娘に受け継いでも、その味になるまでに相当な時間がかかる理由がわからない。だが決定的に違うのだ。
「年季」という言葉はそのまま守って行きたいがそれでも理由があるなら知りたい。

まず一つは掌に済む常在菌が考えられるかもしれない。

人間は無数の細菌と戦い、同時に守られている。人間の体には数えきれない種類の細菌が住んでいるらしい。
それは年齢や生活環境で変わるそうで、病気の引き金になる事もあれば、肌の美しさを保つ理由にもなる。
そして、人生と同じように取捨選択を繰り返し、最終的に共存すべき細菌を互いに選ぶと言うのだ。
そりゃ若造よりおばあちゃんの方が細菌マスターである事は間違いない。人にとって有益な細菌を守り、育てているに違いない。人間はその人生と肉体をもってしてそれぞれが皆唯一無二の杜氏となっているのだ。
そしてそれは地域によっても変わり、小龍包の皮を上手に発酵させる細菌も、納豆を美味しくする細菌も、その土地でしか生きられず、その土地の料理の礎となっている。

そして、手から放射される遠赤外線。
おにぎりのウマさを検証したTV番組で見た事があるが、おばあちゃんの手から出る遠赤外線は若者のそれとは違うようだ。
同様に、いろんなジャンルの”師匠”と呼ばれる人々も同じように違う波長を持っていると言う。
つまりそれは年季や経験によってレベルアップして行くものと捉えて良いかもしれない。
「手当て」という言葉の語源はその力による物だと言う。生き物が発する遠赤外線は、他の生き物を癒し、安心させ、元気付ける。
撫でられることで安心し、次の活力を得るのは生き物として言わば当たり前の作用とも言えるかもしれない。

その遠赤外線に撫でられ、力を発揮する常在菌の力を思えば当然「人の好きな味」になることは想像に難くない。バブシカパワー恐るべし!

と、目に見える所だけで検証してみたが、そんな事以上に、家族に美味しい物を食べさせたいという思いを何百年、いや、何千年と受け継いで来た「愛の地層」が生み出す味である事は言葉では語り尽くせない事実なのでしょう。
ロシアもどんどん都市化し、核家族も増えているようです。バブシカと離れて暮らし、外食産業も盛んになりつつあります。
文明が発展し、この味を受け継ぐ人がいなくなってしまうなら、文明とは何とつまらない物か。

でもそれは、幸いにもロシアで貧しい旅をする経験があったからこそ知り得た物かもしれない。
都市部に育ち、当たり前のように文明を享受し生きて来た僕はまだ本当の日本の守るべき味を知らないだけかもしれない。
都会で高いお金を払い「これが高級な味です」と刷り込まれて来たのは僕の方かもしれない。
音楽と料理は似ている、インスタントでそれなりにおいしい物を作る事はきっと誰にもできるが、本当に心を打つ味を作るのはプロのシェフでも難しい。そして本当においしい物は意外な所にあり、探す事も難しい。
バブシカのピクルスは今までの人生で出逢った数少ない心を打つ芸術作品だ、きっと他にも世界には素晴らしい物が溢れている。
ウマいものを探す人生の旅は続くのである。