マツコラム

「美国在素的」(FC会報2001年12月号より)

お休みとはいいもんだ。お休みをとるということ、お休みをとろうと思えること。自分に御褒美を与えようと思えるだけの仕事をやり終えた11月、事務所とレコード会社は僕らに一週間のお休みを快く与えてくれた。いいミニアルバムができた、よっしゃ、ちょっと自分のために時間をぜいたくに使ってみよう!
と、いうことでやってきました花の都ニューヨーク!かねてから来てみたかった町、芸術を志す者、経済を牛耳らんとする者、世界中の野心家の集結するエネルギーの町。11/21、ユナイテッド800便は空席だらけだった。ひじ掛けを起こし、めいいっぱい背を倒したエコノミー席は極上の映画館だった。前席の背の液晶テレビには古い南部のアメリカンドリームを描いた映画。ナゾの黒人が白人の若者の夢を叶える話、希望の国アメリカ、ニクい演出だ。目が覚める。窓の外に水晶の固まりのようなマンハッタン島が見えた。「ニューヨークだ。」その周りは果てしなく広がる平原。翼を広げたワシの絵と「Dependable(まかせとけ)」と書かれたボーイング777型機はゆっくりとそして力強くJ.F.ケネディ空港へと臆病な日本の若者を届けた。
「ひさしぶり」歓迎してんだかめんどくさいんだか、いまだにわかんねぇ、すまし顔で奴は迎えた。さっそうと僕を案内するアジア人、アメリカの国旗をかかげたタクシーにはアラブな運ちゃんがレゲエに歌う、これがニューヨークか。
変わんないのはお互い様、あいかわらず気難しそうな2人、なのだろうか。彼は演出、僕は音楽、9年前、同じ舞台を作ったチームだ。アマチュア同士が激論を交わし小さな小屋で作った作品。笑い話になるようなケンカは次元をかえ、今もそれぞれの道で進行中のようだ。日本での仕事に失望し、覆せるだけの力をつけにNYに来たのだと、きっと自分の無力さに一番腹が立ったんだろうな、言葉や権力ではなく、作品で見返してやりたいんだろうな、やっぱり相変わらずだ。
音楽と芝居、その融合の魅力、ニューヨークにはそれが大衆芸能として存在する。オペラやミュージカルといった枠にとらわれない本能から湧き出るアクション、その発展系であり、同時に原点のようなものがある。「STOMP」だ。ほうきやマッチ箱、ドラム缶など音の出るものならなんでもアリ、それぞれがいろんなものを鳴らしてグルーブを作る。テレビでは見たことがあるけど生で見るのは初めてだ。ブロードウェイから少し裏の道を入ると家電屋やバーガーショップの間にその小屋はあった。200 人くらいのライブハウスのような小屋。もう何年も「STOMP」だけをやっているのに今日も満員だ。そして約2時間のショーが終わる。あっという間だった、内容を言葉で表現するのはよそう、ただ、すごかった。ステージの上にあったのはドラム缶、ナベ、新聞紙、その他音の出る身近なもの、そして人間だけ。セリフはない。ダンスなのか、音楽なのか、そんなことはどうでもいい、すばらしいショーだった。興奮さめやらぬまま、Times cafeの地下にあるライブハウスfezへ。カフェの奥のバーカウンターを抜け地下へ続く階段を下りる。こんなとこに何があるんだ?扉を開けると満員のライブハウス、テーブル席で人種を問わずみんなお酒を飲みながら開演を心待ちにしている、今日はいったい誰が出るのだろう、それは的はずれな質問だった。もちろんその日のアーティストがお目当ての人も多いだろう。でも彼等は「Live house fez」のショーを見に来ているのだと言う、そして親しみに溢れた歓声にむかえられギターを持った一人の若者があらわれた。なんとも緊張感のない登場、ゴソゴソとセッティングをすませおもむろに歌いはじめた。息を飲むとはこのことだろうか、一瞬にして会場は彼の世界につつまれた。「うまい」!、声がいい、ギターがおじょうず、という次元ではない、「うまい」のだ。なにがどう、とは言えない、にくたらしいくらいにうまい、スリルにも似た感覚、それを3メートルくらい先で普段着でやってる。くそゥ、かっこいい。メニューを終え、彼はステージ袖のテーブルにもどり飲みはじめた。程なくアンコールがかかり彼はグラスを持ったまま店に置いてあるピアノで一曲、そして何度もアンコールがかかりそのたび彼はフラフラと出てきては至高の一曲、その合間、彼の今日持ってきたかばんを見せたり自分の書いた絵を出してみたりのんべんだらりんと「MC」という考えを覆すようなトークを繰り広げる。いや、ちがう、もともとはこうだったんだ、ロシアでストリートやってた時といっしょだ。それが、そのままの姿で上質な大衆芸能として見られるニューヨーク、くそゥ、かっこいい!
翌朝、陽気なスペイン人の経営するピザ屋で朝食、オフィス用テナントにキッチンを入れただけのようなおそまつなお店、ピザの切り分け方もテキトーでしかもデカすぎ、だが、食べてみるとなんとも激ウマ!デカすぎのピザをペロリと食べてしまった。「こっちで美味しい物を食べたかったら現地の人がやってる所を探せ、NYまで来て店出してるんだ、はんぱな情熱じゃできないよ」と、納得だ。今日の朝食はスペインの兄ちゃんの「夢」を食べさせてもらったんだ、うまかった。そして、地下鉄に乗って、「グラウンド・ゼロ」へ。あの場所だ、あの跡地は、その後こう呼ばれている。ゼロから始める、という意味なのだろうか。地下鉄を出ると異臭が立ち篭めていた、科学物質の燃える匂い、道路はまだ灰をかぶっていた、もちろんまだ中には入れない、跡地に続く道路にはフェンスが張られ、その周りには今も人が集まっている。そしてフェンスの間から跡地が見えた。現実なのか、これは、テレビでみた地面にささったビルの壁面、実物は想像より遥かに大きかった。その壁面だけでも日本の高層ビルの高さを遥かに超え東京ドームよりも広いであろう場所がすべて廃虚だった。写真を撮った、何枚も、そして目に焼きつけた、何も語れはしない、ただ、見るだけだった。
周りには世界各国の国旗、そして花束。夢を抱いて各国からやってきた人々、そしてその夢を破壊しようという夢を持ってしまった人、どちらも自分の理想を貫こうとした人。なぜこんなことになるのか、夢っていったい何だ?誰かを幸せにするために誰かと戦う、何かを守るために何かを壊す、それは僕だって同じだ。でも、他に方法はなかったんだろうか、そこまでして貫きたかったものはなんだったんだろう。攻撃をやめ、相手の言い分を聞けと今のアメリカに言うのは酷なことだろう。でも、新たな憎しみをできるだけ産まないようにと今世界は一つになろうとしている。僕は何もできない、ただ、見ることはできた、感じることはできた、NYのために何かを、と思っても正直僕は対岸の人だ、痛みだって知りようもない、唯一出来ることは訪れることだった、そして元気に活動しているNYをみて、心から楽しんで帰ることくらいだ。お客をまっているピザ屋の兄ちゃん、変わらずライブハウスで歌ってる兄ちゃんにとって、お客さんに来てもらうのがどれだけ嬉しいことか僕は知ってる。そして僕も感動した、本当に来て良かった、ありがとうニューヨーク、I LOVE NY MORE THAN EVER!

翌朝、東京へ向かう飛行機へ、たったの2日間、でも僕にとって生涯忘れられない旅となるだろう、がんばってるNY、そしてがんばってるにくたらしいライバル、元気そうでよかった、俺も負けちゃぁおれん、またくるぜ!ニューヨーク!!