ミュージシャンはペットが飼えない。なぜなら地方公演等で長く家を空けたりスタジオにこもりっきりになったりと規則的に面倒を見ることができないからである、ペットはおろか熱帯魚や植木までもがそうである、長いツアーから帰って出迎えてくれるはずの緑はそこだけ冬が訪れたように枯れ果て、10匹はいたであろう美しい小さな魚達は厳しい生存競争の末強く狂暴化した2匹だけが残り熾烈な縄張り争いを繰り広げていた。そんな僕に追い討ちをかけるような事実が発覚、それは・・・
「ミュージシャンはぬかづけも作れない」
実はこの春から粗食を心掛けようと極秘裏にぬかづけ作りを始めていた。天然の細菌、酵素の働きで作る健康食品、それは塩分や酸素、温度の働きが密接にかかわり合う科学実験の様であり、良性の菌を悪性の菌から守り、よりおいしいぬかどこになるよう育てる飼育の喜びの様であり、新たな食材の組み合わせに挑戦し試行錯誤を繰り返しながら理想の味へと近づける、まるで音楽制作のような喜びを持ち合わせた究極の趣味!そしてじいちゃんになった時「わしのぬかどこは日本一じゃ!」と自慢する、という夢を掲げて第一歩を踏み出したのであった。
ぬかどこは生き物である、適度なエサと酸素、そして快適な住環境が必要である、そして愛情もしかり。彼等はつけた野菜を食べ、乳酸菌を生み出す。それが独特の酸味を生み出すのだがこのバランスが難しい。贅沢させすぎると調子にのって発酵しまくるし厳しすぎるとなかなかヤル気おこさないしほったらかしにしてると文字どおりクサってしまうのだ。そのためにこんぶや唐辛子などアメとムチを使って教育しながら毎日かき混ぜて酸素を愛情を入れてあげなければいけないのである。そして甲斐あってなかなかいい味に仕上がって来た5月末、僕は3日ほど家をあけることになった。
そこで僕は飼育プランをたてた。唐辛子を多めにいれて菌の活性を下げると同時に冷蔵庫にいれて菌自体を仮死状態にさせ、加えて十分な酸素が取り込めるようにぬかどこに気泡を多く含ませる立体構造にする、完璧だ!これなら大丈夫だろう。
そして出発の朝、ぬかどこの手入れをしているとMng小杉から電話が入る、
「例の譜面できてますー?」ゲ!ヤベぇ、忘れてた!それからあわてて譜面制作作業に入り旅支度をして出発。よし!譜面も出来たし楽器も持ったし、あ、そうそうコンタクトレンズ忘れないようにしないと・・、電気も消したし鍵も締めたし、よっしゃ完璧!行くぜ!大阪!
そして千綿ライブin大阪、名古屋、そしてそのままSlopeのテレビ収録を終え心地よい疲れと充足感の中帰宅、ん?なんかクサいぞ?接着剤のような匂い・・、のぉーーーー!
そこには変わり果てたぬかどこの姿が。唐辛子をいれ撹拌までは済ませていたのだが肝心の冷蔵庫に入れるのを忘れていたのだ。そこには悪性菌との戦いに破れ去り白い菌糸にうめ尽くされたぬかどこの姿が。享年1ケ月。さようなら、僕のぬかどこ。
供養をすませ、傷心のまま入った場末のスーパー、落胆の色をかくせない僕に微笑むキャッチコピー 「冷蔵庫でラクラクぬかづけ!熟成済み!伊勢惣の「仕上がりぬかどこ」(すぐ漬けられます)」 ぐ。なんてことだ、この俺にもう一度夢を見ろと言うのか?所詮俺はさすらいのミュージシャン、守れるものなどないのさ、もう引き止めないでくれ・・・
チーン、「はい、お会計853円になります。」