広島空港、もう何度このゲートをくぐっただろう。僕の故郷広島、でもこの新しく出来た空港は当時の思い出には存在しない、ホテルに泊まり、新しい仲間達と出会い、外から眺めていただけの放送局で仕事をする、デビューしてから知った「広島」は僕の故郷とはまた少し違った表情で迎えた。思えば小学校3年生の頃に越して来て10年間住んだ広島、それでも転勤の多かった僕にとっては一番長い期間住んだ街だった、それでも今では東京の暮しの方が長くなってしまった、両親も引っ越して今は仕事で訪れることしかなくなった僕の故郷。そんなセンチな事を考えてしまったのはきっと一人で来たからだろう、5月5日フラワーフェスティバル最終日、これから帰りの便でごった返すであろう停車場をあとに僕はバスに乗り市内へ向かった。
それは一本の電話から始まった、「もしもし、松っちゃん?久しぶり!」電話の相手は広島の人気DJ「ボンバー石井」さんだった、ブルームとしても何度もゲストに出させてもらった人気番組のパーソナリティー、というのはデビューしてから知った肩書き。僕が知るボンバーさんは高校時代に憧れたカリスマバンドのギタリストだ。
「5月5日にコンテストあるんだけど審査員で来てくんない?」と、「行きます!行きます!絶対行きます!」後先考えずに感情だけで返事してしまった。とても不思議な感覚だった。僕が出ていたコンテストの審査員として時に厳しく、時に優しく育て、応援してくれたボンバーさん、そして今度は僕がその役目を。
アマチュアミュージシャンにとってコンテストの審査員というのはとても大きな存在だ、あの時のあの言葉が、あの時のあの励ましが、僕の中の思い出が蘇る。それが自分の憧れるミュージシャンの言葉ならなおさらだ、僕につとまるだろうか。不安はあったが、何か大きな力が僕を突き動かして止まなかった、それはきっと「がんばれ!必ず夢は叶う!」、そう言いに行きたかったのだ、具体的なアドバイスはできなくても、それだけは伝えたかった、出場するアマチュアミュージシャンに、いや、あの頃の自分に。
控え室へ、「よう帰って来たねぇ」、やっぱりここは故郷だ、その一言だけで癒される、「あ!審査員の松ケ下先生、おはようございます!」馴染みのスタッフがちゃかす。
となりの楽屋には緊張の面持ちで歌詞の確認や発声練習をしている出演者の姿が、そんな真剣な姿を見てほほが緩む、僕もこうだったのかな?
そして本番、音楽プロデューサーN氏と大手レコード会社ディレクターのT氏とともにステージへ、なんかこっちの方が緊張してきた!
下は12才の女の子から上は30代のダンディーな男性まで、幅広いアーティストが熱演を繰り広げる、その中に男女二人組のユニットがいた、キュートなパフォーマンスの女の子のヴォーカルと男の子が作曲、アレンジをして打ち込みに合わせてキーボードを演奏していた、あぁ、俺そっくり。なにがどう、というわけではないのだが当時の自分に重なるものがあった、そして僕のコメント、「いや、あ、あの、すごくいいと思います!、僕も最前列で盛り上がって見たいと思いました!」アチャー!ぜんぜんコメントになってないよ。それじゃただの感想じゃん!
そして審査発表、ユニットの彼等と12才の女の子、そして声の美しい女性ヴォーカリストに賞が送られた、でも誰もがみなすばらしい歌を披露してくれた。それぞれにすばらしい個性と才能があり、今後が楽しみな出演者ばかりだった。
ステージを降り、出演者と話す、僕の話に興味深く耳を傾けてくれた。目を輝かせて「がんばります!」と、大丈夫、その気持ちがあれば大丈夫、テクニックやノウハウ、僕が教えられるのはほんのちいさなヒントだけ、それよりももっと大事なものはそこに目を輝かせられる情熱、大丈夫、君は持っている。握手をして別れる、熱い手だった。僕も負けないくらい熱く握り返せたかな?妙な対抗意識がまた芽生えて来た、おっと、そろそろ時間だ、KEN-JIN BANDの出るステージに行かなくては!今日は夏川りみさんが出るそうだ!2ブロックとなりのステージへ、12年ぶりに観客として楽しむフラワーフェスティバル、賑やかな平和大通りを僕は走った。きっと僕は何か大きなヒントをもらった、それが何なのかはわからない、ただ僕は見る立場の人として出演者に熱い想いを抱いて夕暮れの大きなステージへと走っていた。きっとその気持ち、そこに何かがある気がしてならない。