マツコラム

Cairns, Australia 16/4/2003

「たまには南の島でも行ってゆっくりしてくれば?」会うたんびにそういうH氏、そんなに仕事しすぎに見えるかなぁ?別に遊びたいのに遊べない訳じゃないし今は仕事に燃えてるんだからほっといてよ、といつも思う。でも彼の仕事ぶりはとても好きで不真面目ともとれるような気さくさでどんなに大変な仕事も「遊び」に変えてしまう人なのだ。僕が本気で仕事に悩んで相談に行った時も「今お前がすることは争うことでも努力することでも無い、遊んでこい」と言った。結局その時は遊びに行く気になれなかったのだがいつも彼の余裕の仕事ぶりに憧れていた、実際「今日は俺サボるわ!」とか言って海に出かけていったりするような人なのに彼がぬかった姿は一度も見たことがない、これが大人の余裕なのかなぁなんて思っていた四月某日、シドニー在住の海仲間が思い出したように電話をよこした、「来週はイースターだから遊びにこないか?」と。渡りに船だ、幸いその週は仕事はない。行ってみるか。

そして4月16日、ぼくはオーストラリア、ケアンズにいた。思えば南の楽園に来るのなんていつ以来だろう、遊びに行くと言ってもせいぜい伊豆の海で一泊くらいだった僕にとって4日もリゾートで過ごすなんて革命に近い、それでもそんな短い行程なんて無いよと言われてしまったが。
インターネットに携帯電話、そしてクレジットカード、あまり好きではないハイテクもこういう時にはその力に感謝せざるを得ない。2日前に思い付いた旅行が電子の流れに乗って予約から決済まで指先だけで済んでしまう、文明の利器とはすごいものだ。そして今僕は空港で合流する友人を待っている。携帯電話があれば見知らぬ場所での待ち合わせも不安ではない。そして忘れてはいけないのがお約束、飛行機だ。今日の便はボーイング767-338、東京ー広島間等で使われているような中型機の国際線アレンジバージョン、昔は大形のジャンボと呼ばれる747ぐらいしか国際線では見かけなかったものだが燃費の効率化と軽量化によって乗客が少なくてもいろんな都市に数多くの便を安価で飛ばせるようになったようだ。文明の発展を支えるのは戦争だと言う。でも僕はその表現は少し違うと思う。きっと自分の発明が過って人を殺す道具になってしまった時、技術者は懺悔にも似た気持ちでその技術を人の幸せのために活かそうとなみなみ成らぬ努力を捧げ、文明の利器へと変えていくのだと思う。原爆が原発に、それを積んだB-29がB-767に、米国防総省の軍事ネットワークがインターネットになったように、いつか精密誘導ができるトマホークに乗るのが爆弾では無くリゾートに向かう幸せな家族になる日が来ることはきっと信じてもいいだろう。
シドニーからの便が着く、それまで最先端のアパレル商社に勤めていた彼が一念発起してワーキングホリデーに出かけて1年、久々に会ったその顔はとても穏やかになっていた、競争のない仕事に就き、競争のない波乗りを楽しんで暮らしている、そしてその瞳の奥に確実に蓄えている何かを感じた。オーストラリアでのんびり暮らしたいと言い出した時は正直信じられなかったが確実に求めていた何かを得たのだろう、その顔が決断の正しさを物語っている。H氏の言葉の意味を彼は知っている、漠然とそんな気がした。

車を借り海沿いの道をビーチへと走る、旅は若いうちにと言うが29才の僕が見るオーストラリアはまた違った角度から見えるのが面白い。イギリスの面影を残した町並み、紳士的かつスマイリー&フレンドリーな人々、よく見かける優先道路という標識が「YIELD(譲る、屈する)」ではなく「GIVE WAY(与える)」だったのが印象的だ、世界最大の珊瑚礁と世界有数の美しい海岸線をもつこの州をQueenslandと名付けたのもニクい。
暴力的な日ざしの下、ビーチのUV(紫外線)メーターはVERY HARDを通り越してEXTREME(激ヤバ)を指していた、1500円もしたSPF50のアネッサ(日焼け止め)も効きそうにない、「次のライブで肌ボロボロだったらどうしよう」一瞬不安が頭をよぎる、いかんいかん、それを忘れるために来たんじゃないか、ここは資生堂の技術を信じよう。「ウヒョーー!」ビーチへとダッシュ!すでに脳の中にはヤバい分泌物がいっぱいだ!なぜ海はこうも僕を惹き付ける?荷物を浜に投げ捨てそのまま海へと飛び込む、この快感がたまらない、焼けた肌が「ジュー!」と音をたてるように海の中でクールダウンされる、そして仰向けになって浮かび空を眺める、自然に帰ったようでほっとするのだ。

グレートバリアリーフ、子供の頃憧れた珊瑚礁。図鑑で見たモンガラカワハギがどうしても見たくて父親にせがんだものだ、マングローブ林ではシオマネキが踊り海沿いのカフェでは美しい鳥たちがフィッシュ&チップスをねだりに来る、熱帯雨林にはジュラ期から生き残ってそうな巨大なシダが広葉樹と肩を並べ、ナツメヤシやマカダミアナッツの実がそこらへんに落ちてる。虫かごと釣り竿をもってた少年時代の僕に見せてやりたい、そんなことを思いながら大人の僕は水着の美女を眺めながらフォーエックスビールをおかわりしていた。

紫の夕暮れを超えて南十字星が昇る、熱帯の夜は長い。6時には日がくれて街は熱を帯びたまま輝き出す、地球とは本当に面白いものだ、日本の夏、ロシアの夏、緯度が変われば夜が変わる。日本の夏の夜は明るく短い。夕涼みと盆踊りはやっぱり日本ならではの文化なんだな、枝豆のかわりにハッシュドポテトをかじってライブバーへと、そこで事件は起きた。
イースター(復活祭)を前にそのライブハウスは賑わっていた、小さな街ケアンズの誇るWORLD FAMOUSだという、二階バルコニー席、プールバー、ダンスフロアのあるDJ&LIVE SHOW Bar、JOHNO’S、僕らはダンスフロア横の最前列で見ていた、60才は超えているだろうか、ボーカル&ギターのジョナサンはクレイジー&ファンキーなじいちゃんだ、しかもバカうま!、根っからのエンターテイナーなのだろう、余裕のラフプレイで観客をあおる、そして寡黙なギタリスト(名前は聞けなかった)は超テクニシャン!スティーブ・ルカサーを彷佛させるようなクレバーなギターソロが憎い!、リズム帯も流石だ、やはりブラックブラザーのリズムは腹にくる、長身のベーシストはもくもくと僕の下腹部を攻め続ける、目が会うととニヤリと笑った「どうだ、キクだろ?」とでも言わんばかりに。
1ステージを終え、DJタイム。「いいなぁ、ライブやりてぇなぁ」結局リゾートでも考えることはそれだ。4本目のフォーエックスを飲み干しそろそろ帰って寝るか、そう思っていた頃、なんとステージを降りたジョナサンが話しかけて来た、「日本からきたのかい?君はギターをやるんだろ?」信じられなかった、なぜわかるんだ?たしかに音楽家同志、直感でわかることはある、豆鉄砲を食らったような僕の顔を見てジョナサンは笑った、「あとで遊ぼうぜ!」と、そして去って行った。
言い様のない胸の高鳴りを覚え僕は次のステージまでその場を動けなかった、友人もワケが解らないようでそろそろ帰ろうと言っていたのをもう1ステージ見ようと説得した、なぜか確信があった、ジョナサンはしかけてくる。そんな気がした。
2ステージ目も終わりに近付く、勘違いだったかな?そう思っていたころ「今日は日本から友人が来ている、ヒロ!ステージに上がれ!」と!ワケがわからないのと待ってましたという気持ちと、海パンとTシャツ、ビーチサンダルのまま僕はステージへ吸い込まれて行った。ステージでジョナサンと対峙する。お互い今日始めて逢ったばかりで少なくともジョナサンは僕が何者かは知らないはず。それでもジョナサンは笑って言った、「Aのブギーでどうだ?」。Aのブギー、万国共通のブルースセッション。A-D-A-A-D-D-A-A-E-D-A-E-というコードの繰り返しの中でそれぞれが自己主張するという形だ。OK!いけるとも!客席も思わぬハプニングに熱狂している!脳内のヤバい分泌物は最高潮だ!長身のベースマンはまたニヤリと笑った。絶妙のドラムフィルインでAのブギーは始まった。

1コーラス目、僕のイントロデュースをジョナサンがアドリブ歌詞で歌う、英語力の弱さが悔しい、ジャパンとギターしか聞き取れなかった、彼のシャウトごとに客席は盛り上がって行く、そして2コーラス目、「カモン!ヒロ!」と、僕の番だ!まずは正攻法で攻める、いい感じだ!そしてジョナサンのハープソロ、ルカサーさん(?)とのギターバトル!もう止まんねぇ!もう10コーラスくらい超えてるんじゃないか?

ジョナサンはぼくの頭にインディアンの羽根帽子をかぶせたりとムチャクチャヒートアップしてきた!最後を告げるドラムのフィルイン、名残惜しく長いエンディングを回す。そして超クールなベースフィルでフィニッシュ!最高だ!ダンスフロアも大盛り上がりだ!そしてステージを降りる。黒人のおばちゃんにキスされたり白人兄ちゃんにビールをおごってもらったりと至福の時を過ごした、席に戻ると友人が写真を撮ってくれていた。「音楽っていいなぁ!」と、だろ!いいだろ!やっぱり僕はこれでいいんだ!奇跡のような出来事だった、音楽を離れて休みに来たつもりがよけいに自分の在り方を実感してしまった!こんな出来過ぎた話があるだろうか?まさかH氏もここまでは想像していまい!
さらに何本フォーエックスを飲んだか覚えていない。ステージを終えたジョナサンは「日曜はフリーセッションデイだからまた遊びに来い!」と、うぅ、その日は日本に帰る日だ。名残惜しいけど今日の思い出を胸に日本でがんばってまた遊びに来るよ!

翌日、サーフィンのメッカ、ゴールドコースト・サーファーズパラダイスへ、まだ昨日の余韻にぼんやりしながら波に乗る、突然の横波にひっくり返され、危うく溺れそうになった。やばい、ここの波は強い!気がつけば乗り始めた所からもう100mくらい流されていただろうか、波の力も大きさも、海流の早さも日本の比じゃない、腰ほどの深さでも立っているのがやっとだ。素人用のやわらかいロングボードだったからよかったもののこの力で板に叩き付けられてたらヤバかった、浜に上がり昼寝をしながら考えた、サーフィンは楽しい、もちろん他にもいろんな趣味があってどれも楽しい、でも昨夜のあの一時にはかなわない。H氏の言ってることの意味を理解できないのか、それともまだ自分を解放しきれてないのか、そんなことをビーチで考えてる自分にもウンザリしてしばし眠った。

そして帰国の日、ゴールドコースト、ブリスベン空港で友人と別れ、僕はケアンズ経由で成田へ向かう予定だった、ところが、ブリスベンーケアンズの便が遅れて乗り継ぎができない!こりゃまいった!航空会社が違うからこれで乗り過ごしても自分の責任だ、遅れた飛行機を責めてもしょうがない、あえて航空会社名を出して話そう、ケアンズからのカンタス便で成田に帰る予定だったのがブリスベンーケアンズのヴァージンブルーの便が遅れてしまって乗り継ぎができなくなってしまったのだ、ヴァージンのスタッフに話す。するととても親切に対応してくれた。まるで自分の事のように。そして空港中を走り回って翌日のカンタス便に振り替える手続きを取ってくれた。カンタスもヴァージンも同じ航空会社仲間、困った時は助け合いといった感じでとてもスマイリーに事は運んだ。結果、僕はもう一泊ケアンズに滞在することになり、ヴァージンのスタッフは申し訳ないと繰り返した。しかしまたもや渡りに船だ、音楽の神というのがいるのならば僕は信じてしまうかもしれない。なぜならその日はジョナサンの言っていたフリーセッションの日だ。諦めていたチャンス、それを話すとヴァージンのスタッフはとても喜んでくれた。「Have a nice one more holliday!」と、アクシデントは常にチャンスなのだ、そして努力する限り人は幸せを生み出す、ありがとう、ヴァージンブルーのみんな!この旅行のアンコール、存分に楽しんでくるよ!
一転雨模様のケアンズ、今夜のフリーセッションは招かれるのではなく挑戦して行く立場なのだ、会場に入りエントリーボードに参加の旨を書く、ヤバい、ビビってきた、しかも今日は一人、心細い。さすがWORLD FAMOUS、いろんな国の人がエントリーしている、その中にKenという日本人の名前も見つけた、ゴングショーと呼ばれるこのショーは誰でも参加できるがブーイングを受けるとゴングが鳴りその場で演奏終了というキビシいショーなのだ。カウンターでフォーエックスをたのむ、すると前回見てくれた人だろうか、「ヘイ!ギタリスト!今夜はやるのかい?」と話しかけてくれた、実はまだ僕はエントリーしていない、ビビってたのだ、一応日本ではプロミュージシャンなのにここでゴングを食らったら立ち直れない、そんな気持ちだったのだ。でもその気持ちを認めたら吹っ切れた、ダメならダメでいい、ゴングを食らったらそんだけヘタだったってことだ、つまりまだまだ伸びる余地があるってことだ、やってやれ!エントリーボードにサインする、その瞬間、僕は一番好きな自分の姿を見た。そしてゴングショーが始まる、ジョナサンと目が合った。「容赦しないぜ」と言っているようだった、しょっぱなからゴングが鳴り一人目のチャレンジャーはあっけなく1コーラスでステージを降りた、けっこう上手かったのに、やっぱりキビシい。
そして僕の番、曲はAのブギー、ステージに上がってしまえば緊張は解けていた、3日前の興奮をもう一度!セッションは盛り上がり審査員の女の子達もステージに上がって踊り出した、そして完奏。拍手と歓声を浴びた。嬉しかったがそれと同時に複雑な思いがよぎった、プロミュージシャンなんだから完奏するのはあたりまえ、なのにそこに自信をもてずに失敗することをビビっていたこと、そしてKenの出番が来る、クラプトンの曲を彼は一生懸命歌った、上手かった、そして完奏。拍手と歓声の中、本当に彼は嬉しそうだった。ステージを降りた彼と少し話した、幸い彼は僕の事を知らないようだった。
聞けば彼はプロミュージシャンを目指していたのだが来年から社会人として就職すると決め、その最後の思い出にこのゴングショーに挑戦したのだと言う、本当にいい歌だった、そしていい笑顔だった。そんだけの魂を込めた歌、僕は聴けて嬉しかった、決して忘れないだろう。そして僕のリゾートでの日々は終わった。
グレートバリアリーフの上をB767は成田へと飛んで行く、きっとこの出来事は奇跡でもなんでもなかったんだろう。きっとジョナサンにしてみれば遊びたそうな子供におもちゃをあげた位のことだったんだろう、きっと彼にはギターを弾きたそうな僕はバレバレだったんだろう。おじいちゃんには何でもお見通しってとこか。上手く言えないけど自分の世界では「これ!」と固執していて自分で崇高なものと祭り上げている物でももっと広い所に行けばそれはごく普通の人間のキャラクターであり、僕はやっぱり「ギターを弾きたい小僧」なんだな、それを見つけたのがとても嬉しかった。H氏の言ってることがわかったのかどうかは定かではないけどとにかく僕は楽しい休日を満喫した。早く日本に帰ってアレやらコレやらいろいろやろう!ありがとう、ジョナサン、Ken、ありがとう、オーストラリア!