マツコラム

「札幌日記」(FC会報1997年3月号より)

ボーカル別所の入院により、札幌一人旅(新曲のキャンペーン)。

車に乗り慣れると電車というものはとても億劫に感じられる。しかも羽田空港に至っては我が家から1時間半もの行程を要する。朝8時、ミュージシャンにとっては「昨日寝てなくてさぁ~」というジャンルに入る時間である。ターボさんと合流し、毎度の事ながら何故か移動の朝はカレー、リフレッシュを試みハヤシライスを頼んだ。「札幌に着いたらカニ」と思いつつ。
おお、雪だ。千歳空港は銀世界だった。フォークなターボさんのことだから一曲唄い始めるかと思ったが、眠そうにあくびをしていた。幼少の頃を過ごした札幌という街は、私にとってとても胸高鳴る場所である。再会してもわかるはずもない友達のこと、昔飼っていたゴンちゃんという犬のこと、そして今僕らを待っている人のこと、いろんなことをすこんぶを食べながら考えた。
「いや~んホテルがきれい~」何がいや~んなのか。思わず口にしてしまうほどそのホテルは外観だけでなく、部屋の中も素晴らしかった。ジャグジー付きのお風呂やコーナーをまたいだ窓、そしてツインルームのシングルユース。でもきっと飲んだくれて帰って寝るだけなんだろうな、と思いつつ階上のスポーツクラブへ。1日目は仕事はなく、翌朝に備え早めに寝るつもりが結局ターボさんと飲んだくれてしまった。
すべる!コケる!札幌をあなどっていた。地元営業所の人はサクサクと軽快に進んで行く。なぜ?なんで?後ろでひょこひょこしている僕らはしだいに離されてしまう。2日目は朝からびっしりとスケジュールが詰まっていた。朝っぱらからハデにこけてしまった私は、どうみても東京から来たアーティストではなくあやしい観光客だった。
一人しゃべりというものは予想以上にさみしい。逃げ場がないのだ。つまんないことを言ってしまっても自分でつっこまなくてはならない。それにスタジオの中は一人、ガラス窓に仕切られた外界の音はシャットアウトされ、ヘッドホンからは自分の声だけ、唯一の救いは聞いてくれる人がいるということ。テンションを維持しつつ、4本のラジオと3本の取材を終えビデオコンサート会場へ。この日のイベントは80年代ヒットナンバーのビデオクリップを上映し、ナガハタゼンジさん、平井堅さん、そしてパーソナリティの細川さんとともにそのころの思い出を語るというもの。慣れない札幌でしかも一人という心細い状況だったものの、会場のみなさま、そして出演者のみなさまの暖かいフォローによって楽しく終えることができました、愛情を感じた一日でした。
翌朝、朝一で市場へ。大好きな魚がいっぱい、眺めているだけで時は過ぎ、あわてておみやげをGETして今日の仕事、有線コンベンション会場へ。「線路沿いの恋」のビデオクリップを上映して、自己紹介、今後の活動などをスピーチ、そしてQ&A、この日も寒い中わざわざ来てくれた有線の方々にただただ感謝、レニークラビッツのヘソ話で盛り上がったりと皆さん好意的で、仕事といえどもやはり人間同士なんだなあなどと思ってしまいました。
楽しかった仕事の余韻に浸る間もなく飛行機の時間、営業所の人たちに別れを告げ東京へ。とても充実した3日間で得られたものはスタッフや出演者の方々の愛情、来場者の皆さんとの楽しい時間、そして仕事をやり抜く自信、あと丸々と太ったメザシ、北海道銘菓白い恋人などいろいろ、公私ともに楽しい3日間でした。